こんにちは、
TAIJI(@taiji_jintano)です。
海にある鳥居と海の上に立つ神社として有名な厳島神社。
今回は、この厳島神社に関する歴史をできるだけ簡単にわかりやすくまとめました。
厳島神社は日本三景といわれる、日本人なら一度は訪れておくべき場所の1つ。
観光客が多く集まり、周辺にはシカが生活していたり、牡蠣が食べれるところがたくさんあります。
毎回恒例で言っていますが、せっかく行くならある程度の知識をつけた状態で行ったほうが、より一層楽しめます。
では、早速、厳島神社が今の形になった歴史からまとめていきます。
調べていくうちにわかったことですが、実は、「厳島神社」ではなく、正式には「嚴島神社」と書くそうです。
このページのもくじ
厳島神社が建設された歴史
厳島神社の由来
厳島神社の由来は諸説あるとされていますが、TAIJIとしてしっくり来たものをご紹介します。
「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島神」と呼ばれるようになり、「厳嶋神社」などなどと形を変え、現代の嚴島神社になったといわれています。
厳島神社の始まりは西暦500年代
厳島神社を建てたのは、「佐伯鞍職(さえきくらもと)」と言われています。
建てられた年は、593年。
今から約1500年前に建てられています。
たしか、聖徳太子が活躍していたのがこれくらいの年代だったはずです。
今の形になったのは1150年前後
現在の厳島神社の形は、このタイミングに作られた形を受け継いでいます。
1146年平清盛は安芸守に任命されました。
安芸守とは広島県のトップ、今で言う県知事といったイメージです。
平清盛は一目を置いていたお坊さんに厳島神社を祀るようにという助言を受けます。
その後、厳島神社を平家の神様として祀り、1168年には厳島神社を今の形まで作り上げたとされています。
建設後の歴史
2度の火災
厳島神社は2度、大きな火災にあっています。
1207年と1223年です。
当時は、国からの援助も受けて再建はされたものの、またすぐに焼け落ちるといった荒れた時代が続きました。
厳島の戦い
戦国時代に大きな戦いが起こり、その戦の名前を厳島の戦いと言います。
その戦いが起こったのは、1555年。
毛利元就と陶晴賢(すえはるたか)の戦いです。
この戦いに勝ったのは、毛利元就ですが、この場所を戦場にしたことを後悔し、厳島神社の管理や復興に力を注いでいたそうです。
近代の台風による被害
海に面しているだけあって、やはり台風からの被害は出やすいです。
以下は、ウィキペディアに記載されていた最近起こった暴風雨の被害です。
平成3年台風19号 – 重要文化財の「能舞台」が倒壊。桧皮葺の屋根も大きな被害。
平成11年台風18号 – 国宝の「神社」及び「社殿」が大きな被害。
平成16年台風18号 – 国宝附指定の「左楽房」が倒壊。桧皮葺の屋根も被害。
平成24年- 暴風で大鳥居の檜皮屋を覆う銅板に被害。
知っておきたい豆知識

大鳥居は8代目
厳島神社のシンボルとも言える大鳥居。
今現在立っている大鳥居は、記録として残っているもので8代目だそうです。
平安時代に立てられてからのカウントですが、現在建っている鳥居は、明治時代に立ったものです。
西暦としては1875年から立っています。
釘が使われていない
回廊などのメインエリアの床は釘が全く使われていません。
海にあるから、鉄なんてすぐに錆びるから使えません。
釘を使わずにしっかりと作られています。
波などの影響を受けづらい構造
通常時でも海の上に位置する厳島神社は、極力波などの影響を受けないような構造で作られています。
床も少し隙間が空くように張られており、運悪く波が床上まで来たとしても、すぐに乾くように水はけが良くなっています。
隠れ池がある
潮が引いた時にだけ見ることができる池があります。
ただ、池と言うよりは水たまり。
潮が引くと、丸い池が出来上がる場所が厳島神社には3か所あります。
参拝するタイミングでちょうど水位が下がり始めたら探してみるのも良いかもしれません。
まとめとひとこと
厳島神社の歴史はかなり古い
厳島神社が初めに建てられたのは、今から約1500年前。
その後、平清盛が今の形まで作り上げたとされています。
やはり、台風などの自然災害には弱いらしく、何度も改修工事が行われています。
今日もありがとうございます。
厳島神社へは大学時代にノープラン西日本の旅パート2で参拝してきました。
宮島へは船で行き、降りると鹿が出迎えてくれます。
海の上に建っているだけあって、神社の中の雰囲気は新鮮でした。
あとは、生牡蠣にレモンを垂らして食べたら最高ですね。