TAIJIの家には女の子が3人います。
ひな祭りってなに?
そう聞かれた時にその由来をしっかりと答えられる親ってそういないでしょう。
絶対聞かれると思うので、子供にも分かりやすく伝えれるようにまとめてみました。
大人ですからしっかりと理解しておきたいところなので、最初は少し堅苦しくまとめて、子供向けの文章は最下部に書いてあります。
簡単な文章だけをご希望の方は、そのまま下まで流し読みしてくださいね。
このページのもくじ
ひな祭りは中国からの伝統
先に、日本に渡って来た文化のお話です。
日本に存在する文化の多くが中国で行われていたものが、日本の習慣に合うように変化、解釈され浸透しています。
ひな祭りもその一つ。中国から渡ってきた文化なのです。
中国の文化の中に1年の節目となる節句というものがあります。
節句は1年に5つとされています。
1月7日 人日(じんじつ)
3月3日 上巳(じょうし)
5月5日 端午(たんご)
7月7日 七夕(たなばた)
9月9日 重陽(ちょうよう)
日本ではこの節句に合わせ、邪気を払うものを食べたり、祀ったり、お祝いをしたりとするようになりました。
ひな祭りは女の子の健やかな成長を願う祭り
日本に浸透しているひな祭り。
用意するものなどは地域で少し違っているようですが、ひな祭りに込める思い・意義は昔から変わっていません。
「女の子の健やかな成長を」と願いが込められています。
始まりは天皇をお祓いするためのモノ
遣唐使によって日本に伝わった上巳の節句ですが、もともとは天皇に纏わりつく穢れを払うものでした。
それが、平安時代になると宮中、街中と広まるようになっていったのです。
当時は人形を飾るのではなく、人の形を模した紙を体に沿わせ、体の穢れを紙に移して川に流したそうです。
川に流して健康を祈ることを「流し雛」といいます。
平安時代に人形をお守りにしていた
少し余談ですが、平安時代は、出産の成功率が現代よりも高くはありませんでした。
そのことから、当時は鬼が子供の魂を持って行ってしまうと考えられていたのです。
お産の際、持っていくなら人形をどうぞとお母さんの枕元に人形を置いていたそうです。
子供の身代わりになり、赤ちゃんの魂が持っていかれないようにしていました。
昔から人形というのは人の分身として作られていたんですね。
上巳が女の子、端午が男の子
最初の内は男女関係なく、全員の健康を祈った禊の儀式だったのですが、端午の節句が男の子の健康と成長を祈ることにされたことにより、上巳の節句の事を女の子のた為の節句とされていきました。
しかし、まだ当時は流し雛が主流で人形を飾ることはありませんでした。
流し雛から人形への移行
平安時代、流し雛とは別に宮中の女の子が人形遊びをしていたのですが、その人形遊びの事を「ひいな遊び」と呼ばれていました。
やがて、その人形と紙の人型が合体し、人の厄を代わりに受ける「ひな人形」が誕生しました。
その後、お洒落な人形などが作られるようになってくると、流す人形から飾る人形へと変化していきます。
江戸時代にもなると、1段.2段.3段・・・7段とどんどん豪華になっていき、あまりにも贅沢をし過ぎだということで、贅沢禁止法なるものが制定されたこともあるそうです。
人の厄を代わりに受けてくれ、穢れを祓うことを願ったひな人形。
これが、ひな祭りの由来です。
ひな祭りの由来を子供にも分かりやすく
ひな人形やひな祭りの由来を子供に分かりやすく伝えるのにはこのように話すのはいかがでしょうか。
昔、女の子の幸せを願って、人間の形をした紙に悪い運を移して川に流してたんだって。
それにお人形さん遊びの人形が使われるようになって、その人形がどんどん豪華になったそうだよ。
豪華になった人形を捨てるのは勿体ないよね。
それが今ではひな人形を飾ることで悪い運を代わりに受けてもらって、これからの健康をお願いすることになったんだって。
後は、深く突っ込まれたところを詳しくお話してあげましょう。