かんたん歴史

姫路城の歴史を簡単に解説

TAIJI
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美しくて有名な姫路城の歴史を「簡単に」を意識してまとめました。

こんにちは、TAIJI(@taiji_jintano)です。

日本の100名城に選定されている姫路城

さらに、ユネスコ世界遺産にも登録されていますね。

兵庫県姫路市にある白いお城。

TAIJIも実際に行ったことあります^^

今回はそんな姫路城の歴史を簡単にまとめます。

いつも言っていますが、歴史的な建造物や場所へ行くときは、簡単にでも背景を知っていると味わいが増します。

今回は、姫路城が建った歴史、誰が建てたのか、完成してから起こったこと、豆知識。

こんなテーマでお届けします。

建設の歴史

姫路城が建てられた時期

今の形は1580年に改築されたお城がもとになっていますが、それが始まりではありません。

それよりもさらに200年ほど前の1333年に京都を攻めるための拠点として姫山という場所に砦を築いたことが姫路城の始まりとされています。

その13年後の1346年に本格的な城が築かれました。

姫路城を建てた人

1333年に姫山の砦を気づいたのは、赤松 則村 (あかまつ のりむら) という鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将です。

当時は守護大名も務めていました。

しかし、 赤松 則村が作ったのは攻め入るための砦。

ある程度しっかりとしたお城を築いたのは赤松貞範(あかまつ さだのり)という 赤松 則村の次男です。

完成後の歴史

羽柴秀吉もこの城を使っていた

1580年。羽柴秀吉が中国遠征のために姫路城を使っています。

羽柴秀吉はまたの名を豊臣秀吉。

刀狩をやったりと、この名前は日本人なら誰でも知っているでしょう。

秀吉は、黒田孝高から姫路城をもらい受けます。

その際、天守閣を作るように命じ、翌年には完成したそうです。

姫路城が国有に

秀吉が城をもらい受けてからも、姫路城は数々の城主を迎え入れます。

その途中に、10年の大改築や三の丸、西の丸の増築などを繰り返し、今の大きさになっていきます。

そして、1869年。

当時の城主、酒井忠邦は所有権を国に譲り、姫路城は国有になりました。

国宝と世界文化遺産

姫路城は国宝と世界文化遺産に指定されています。

国宝に指定されたのは、1931年のことです。

その後、1951年に新国宝に指定されたという記録がありましたが、国宝と新国宝の違いは良く分かりませんでした。すみません。

そして、ユネスコ世界文化遺産に登録されたのが、1993年。

それ以降は世界的にも有名となり多くの観光客が訪れています。

知って得する豆知識

姫路城歴史内壁

姫路城は日本初の文化遺産

姫路城は、ユネスコの世界文化遺産に登録されていますが、実は日本初の快挙だったのです。

ちなみに、同じタイミングで、法隆寺地域の仏教建造物もユネスコに登録されています。

平成の大修理で綺麗に

姫路城は、昭和時代にも大修理が行われていますが、平成になって再度修理が入りました。

2015年に終わり、だいぶ綺麗になっているようです。

長壁姫という妖怪が住んでいる

ウィキペディアにはこのように紹介されていました。

長壁姫(おさかべひめ)は、日本の妖怪。姫路城に隠れ住むといわれる女性の妖怪である。小刑部姫、刑部姫、小坂部姫とも。
byウィキペディア

姫路城の天守閣に住んでいて、1年に1度だけ姿を現し、城主と会っていたと言われています。

さらに城の今後がどうなるかと話していたという言い伝えがあります。

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